◎プロモーションが含まれます
大國魂神社
主祭神 大國魂大神
社格等 武蔵国総社
旧官幣小社
別表神社
創建 (伝)第12代景行天皇41年
本殿の様式 三間社流造銅板葺
別名 六所宮
札所等 東京五社
大國魂神社は、京王線府中駅・JR府中本町駅から
徒歩数分とアクセス抜群。
ショッピングセンターも近く、
参拝後にカフェやレストランでゆっくり過ごすこともできます。
しかし、境内にある大ケヤキの並木道を歩くと
心が落ち着く神社参拝の雰囲気を作ってくれます。
この神社「当社は神威殊に顕著である」とされ
この言葉が示す通り、大國魂神社は武蔵国総社として長い歴史を持ち、
古くから関東一円にわたる崇敬を集めてきました。
先日、大國魂神社へお参りさせていただきました。
大國魂神社の歴史と魅力を深掘りしますね。
創建と武蔵国総社としての歩み
大國魂神社の起源は、第12代景行天皇41年(西暦111年)5月5日、
大神の託宣によって創建されたことに遡ります。
初代の武蔵国造(むさしのくにのみやつこ)に任ぜられた出雲臣天穂日命の後裔が奉仕し、
その後も代々の国造が祭務を掌ることで、
武蔵国を護る神として篤く崇敬されました。
時代が進み、大化の改新(645年)以降、
武蔵国の国府がこの地に置かれると、
大國魂神社は国衙の斎場として国司が国内の祭務を総括する
重要な神社となりました。
さらに、国司が武蔵国内の神々を巡拝せずとも
まとめて奉幣できるよう、
国内の著名な神々を合祀し、これが武蔵総社の始まりとなりました。
その後、本殿の両側に武蔵国の一之宮から六之宮の神々
(小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神)を奉祀し、
「六所宮」とも称されるようになりました。
武士の崇敬と発展
武士の時代に入ると、
大國魂神社はさらに重要視されるようになります。
寿永元年(1182年)、源頼朝は葛西三郎清重を使節として
正室・北条政子の安産祈願を当社で行わせました。
さらに文治2年(1186年)には
武蔵守義信を奉行として社殿の造営を命じ、
貞永元年(1232年)には将軍・藤原頼経の代にも
社殿の修造が行われました。
また、天正18年(1590年)、徳川家康が江戸に入城して以降、
武蔵国総社である大國魂神社を篤く崇敬し、社領五百石を寄進。
社殿の修復・造営にも尽力しました。
しかし、正保3年(1646年)には類焼により社殿が焼失。
その後、寛文7年(1667年)に将軍家綱の命により再建され、
現在の本殿が完成しました。
この本殿は三殿が横に並ぶ「相殿造り」という珍しい様式を持ち、
当初は朱塗りの美しい姿でした。
本殿は東京都の有形文化財に指定されています。
明治以降の歩みと現在
明治元年(1868年)には准勅祭社に列せられ、
明治7年(1874年)には県社、
明治18年(1885年)には官幣小社に昇格。
明治4年(1871年)、社号は「武蔵総社六所宮」から、
本来の「大國魂神社」へと復されました。
このように、歴史を通じて大國魂神社は
武蔵国の中心的な存在であり続け、
現在も関東一円に崇敬者を持つ神社として、
多くの人々に親しまれています。
大國魂神社の代表的な神事 ─ くらやみ祭
当社で最も有名な祭りが、毎年5月5日に行われる「くらやみ祭」です。
これは国府祭(こうぶさい)に由来し、
千年以上の伝統を持つ例大祭です。
かつては深夜に行われていたため、
「くらやみ祭」と呼ばれるようになりました。
八基の神輿が古式ゆかしい行列を整え、
暗闇の中で御旅所へと進む姿は神秘的で、
関東三大奇祭の一つにも数えられます。
現在では安全面の考慮から、
昭和36年(1961年)以降、神輿渡御は夕刻に改められましたが、
それでも祭りの迫力と伝統の荘厳さは健在です。
毎年多くの人々がこの神秘的な祭典を見守りに訪れます。
おわりに
大國魂神社は、古代から武蔵国を守護する神として、
人々の生活と密接に関わってきました。
源頼朝や徳川家康といった歴史的な人物も篤く信仰し、
時代が移ろうともその神威は変わることなく続いています。
今も多くの参拝者が訪れ、
厄除けや開運を願う場となっている大國魂神社。
私も年に数回足を運ぶ神社です。
その壮大な歴史に思いを馳せながら、
ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。
お帰りの際は、ゆっくり休める所も多いです。
- 京王線 府中駅南口から徒歩5分
- JR南武線・武蔵野線 府中本町駅から徒歩5分
|
コメント