まもなく春のさくらの季節。神社も桜まつりなど、神社に足を向ける機会も増えそうですね
神社でお参りしていると、いしつか気がつくことがあります。
御祭神は由緒(プロフィールなど)とちがうのではないかと・・・
同じように、テレビのバラエティや、雑誌などで言われているお話しとは違うものを感じます。
例えば、いまの神道は天皇家や、伊勢神宮を中心とした神々の世界です。
山の神様も古事記の神様です。
でも、それに異和観をもつこともあります。
「この山の神社は山の神社の神様で、祭神とされている神様とは違うよね」とか
「天皇家や、伊勢神宮を中心とした神々の世界」は
江戸時代や明治の時代の国家神道へのあとにできたものです
本来の神様のあり方とは違うのです。
この間、新潮新書 島田裕巳さんの「神社崩壊」を読みました。
富岡八幡宮の痛ましい事件から、神社の異和観の背景を読み解いています。
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ネタバレしない程度に
富岡八幡宮事件の背景には、一般の神社とは違う裕福な背景がありました。
それに対して一般の神社は厳しい状況にあります。
富岡八幡宮にある宮司の銅像には、現在の神社がかかえる苦難の背景があります。
国家神道から、戦後の神道のあり方
戦後の宗教に関わる法律に沿うために
「神道」という「新宗教」として存在するあり方を求め
国家神道を下に
「天皇家や、伊勢神宮を中心とした神々の世界」があり
「天皇家や、伊勢神宮を中心とした神々の世界」を守るための政治活動
その政治活動による、日本全体の右傾化に寄与しました。
そして、その意義を失った神社界の厳しい状況が書かれています
神社に興味のある方は読まれるのも良いと思います。
スピリチュアルや信仰とは違う目線ですが
読まれることで、
スピリチュアルな面での神様への理解が進むきっかけになると思います
地域は神社から離れ神主のいない神社。
「廃社」同様の神社も多く
神社は新しい形を求められています。
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